会長あいさつ 田中 実


  
 歴史を振り返ってみますと、明治政府の郵便制度の草分け、前島密は、すでに、旧幕の時代、将軍徳川慶喜に対して、『漢字御廃止之儀』という建白文を慶応2年12月に上申しています。
 明治時代になって、文言一致の運動が起こりはじめ、その変革の中で外山正一が、明治17年に『雑誌』にローマ字国字論を唱えています。
 翌年、18(1885)年1月に「羅馬字会」が結成され、日本に初めてローマ字運動の団体ができました。この会で採用されていたつづり字は、俗に「ヘボン式」と呼ばれているローマ字方式です。
 その後も、ローマ字国字論を唱える学者が数多く現れました。
 その一人にヘボン式があまりに英語の表記に傾いているので、それに反対し、五十音図に沿った日本式を田中館愛橘氏が唱え、明治42年に「日本のろーま字会」設立、それが現在の財団法人「日本のローマ字社」であります。
 また、より一層、活発な運動を展開するため、大正15年に、   社団法人「日本ローマ字会」が設立されました。
 昭和の時代になって、政府はローマ字表記の混乱のために統一が必要となり、昭和5年に「臨時ローマ字調査会」を設立することになりました。
 激しい議論を経て、昭和12(1937)年に「訓令式ローマ字」が制定され、また、昭和29(1954)年に一部改正し、訓令式新表として現在も使われています。
 軍国主義が、日本を日中戦争から第二次世界大戦へ誘い込むにつれローマ字運動は非国民的思想として弾圧されました。
 第二次世界大戦によって、日本が戦争に敗れ、アメリカ軍が駐在することとなって、修正ヘボン式が復活してきました。
 国内状況は、ローマ字運動に公的で会ったにもかかわらず、その活力を思うように伸ばせませんでした。
 日本語の周辺の変化に対応するため、この辺で、日本語のあらゆる資質とあり方について、再び、検討の必要な時期になってきました。
 そのとき、日本ローマ字会では、故梅棹忠夫会長を中心になって、約10年間、毎月研究会を重ね、ローマ字書き長音の書き方にメスをいれて1999年に年号の語尾の99をとって99(きゅうきゅう)式・ ひらがなによる記入方式を世に発表しました。
 日本語表記が、漢字かなまじりであり、また、世界の中の日本語という立場から話しことばが書きことばとなるように、また、音文字についても、我が国の国語意識から再検討する必要があります。
 日本語の将来の目標を「耳で聞いてわかる日本語」に努力する必要があります。